「助けて」が言えない──体が先に悲鳴をあげていること、ありませんか?

暮らしと健康

胃が痛い。でも、病院では「異常なし」と言われる。
それは、心が出していた“助けて”だったのかもしれません。

「また胃が痛い」それが当たり前になっていた

毎朝、起きるとまず胃が重い。
仕事が始まる頃には、鈍い痛みに変わっている。
食欲もない。
でも、熱もないし、動けてしまうからそのまま出勤する。

病院に行ってみた。検査を受けた。
でも、結果は「異常なし」。
先生は首をかしげて、「ストレスかもしれませんね」とだけ言った。


本当は、心が「助けて」と言っていたのかもしれない

その頃の私は、心に余裕なんてなかった。

仕事は人手不足で回らず、
家では年子の育児でバタバタ、
睡眠時間は削られ、休むことに罪悪感があった。

「このくらい平気」
「自分より大変な人もいるし」
「ここで弱音なんて言ってられない」

──そんなふうに、
“がんばり続けること”が当たり前になっていた。


言えない「助けて」を、体が代わりに叫んでいた

今思えば、あの胃の痛みは、
体が私に「もう無理してるよ」と教えてくれていたのだと思う。

心が悲鳴をあげても無視してしまうとき、
体は代わりにメッセージを送ってくる。

  • 胃が重い
  • 食べ物が喉を通らない
  • 呼吸が浅くなる
  • なんとなく不調が続く

でもそれは、ただの不調ではなくて、
「今の自分を見て」と知らせてくれていたサインだった。


私にとっての「自分を助ける」第一歩は、“休む勇気”だった

ある日、胃の痛みに耐えきれず、半日だけ休むことにした。

休む前は、「こんなことで休んでいいのかな」と正直、罪悪感のほうが強かった。
でも、布団に横になってしばらくすると、体が少しずつゆるんでいった。

午後になると、あの痛みがスーッと引いていった。
それは、ただ“痛みが取れた”というより、
心が少しだけ「自分に許された」と感じた瞬間だった。

「あ、今、自分をちゃんと“休ませて”る」
「これが、自分を助けるってことか」

そう気づいたあの日を、私は今でも覚えている。


そこから始めた、小さな自分へのケア

本格的に何かを変えたわけじゃない。
でも、少しずつこういうことを始めた。

  • 夕飯を食べすぎない日を作る
  • スマホを見ない“15分の無音時間”をつくる
  • 呼吸に意識を向ける
  • 「今日も無事だった」と声に出してみる
  • お風呂にキャンドルを灯して静かに湯船につかる

ほんのささいなことでも、
自分を自分で守る感覚が少しずつ戻ってきた。


そんな中で出会ったのが「オートファジー」という考え方

ある日読んだ本に「オートファジー」という言葉が出てきた。

ざっくり言うと──
細胞のリサイクル機能のようなもの。

空腹時間をつくることで、
体の中の不要なものを分解・再利用し、
細胞がリセットされていく。

「自分に余白を与えることは、体にも必要なんだ」
そんな発想に出会えたことが、大きな転機だった。


無理に取り入れなくてもいい。ただ、「整える」意識を持てたことが変化だった

私は本格的なファスティングはしていない。
でも、夜遅くに食べない/胃にやさしいものを選ぶ/朝を軽めにする──
そんな意識を持つようになった。

すると、胃の痛みも少しずつ落ち着いてきた。
それ以上に、「体に手をかけている自分」に気づけたことが大きかった。


まとめ:「助けて」と言えない人ほど、体が先に知らせてくれる

今でも私は、忙しい日が続くと胃がキリキリすることがある。
でもそれは、“悪いこと”じゃない。

むしろ「そろそろ立ち止まって」のサイン。
自分のペースを取り戻すチャンスだと思えるようになった。


もしかしたら今、
あなたの体が何かを伝えようとしているのかもしれません。

“心”の声が届きにくいときこそ、“体”の声に耳を澄ませてみてください。

自分をちゃんと見てあげることは、
「誰かに助けてもらう前に、自分ができるやさしさ」なのかもしれません。

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