誰にも気づかれなかった、心の中の孤独と葛藤。
それでも少しずつ変われた私の歩み。
「自分には価値がない」と思っていた頃の私へ
子どもの頃の私は、
「どうせ自分なんて」と思っているような子どもだった。
誰かと比べては自分を下に見て、
できないことばかりが目について、
自分のことがまるで他人のように感じていた。
何をしても満たされないような感覚。
あの頃の私は、心にずっと穴を抱えていた。
家庭のなかにあった、気づかれにくい孤独
親から愛されていなかったわけではない。
怒鳴られたり、暴力があったわけでもない。
でも──ずっと、ひとりぼっちのような感覚があった。
たとえば、困っていても声をかけられない。
つらい気持ちを言葉にできない。
何かを話しても、すぐに話題を切り替えられる。
「大したことじゃないでしょ」
「あなたならできるから」
そう言われるたびに、「私は、ここにいなくてもいいのかも」と思っていた。
自分の感情にフタをして生きた思春期
感情を表に出さない。
心配もかけない。
“ちゃんとした子”でいることで、自分の存在を守っていた。
でもそれは、
本当の自分からどんどん離れていくような生き方だった。
「人と仲良くする」よりも、
「嫌われないようにする」ために言葉を選ぶ。
「好きなこと」より、「怒られないこと」を優先する。
そうやって大人になっていった私は、
どこかでいつも、“演じている自分”を感じていた。
転機は、介護という仕事との出会いだった
働き始めた介護の現場で、私は初めて、
「自分の存在そのものが役に立つ」という経験をした。
そこには、言葉が少なくても伝わる信頼があった。
笑顔が返ってくることが嬉しかった。
「あなたがいてくれてよかった」と言われたとき、
私は初めて、自分を少しだけ認められた気がした。
そして、家庭を持ち、子どもが生まれて、
育児に追われる毎日のなかで、ようやく気づいた。
子どもの頃の私も、きっと“助けて”って言いたかったんだ。
発信をする理由──過去の自分を助けたくて
私が今、言葉を届けようとしているのは、
“昔の私”のような人が、どこかにいる気がするから。
- ちゃんとしてるように見えて、実はギリギリの人
- 「平気だよ」と言いながら、心のなかで泣いている人
- 誰にも見つけてもらえず、声にならない声を抱えている人
そんな人の“心の声”に、そっと耳を傾けるような発信をしたい。
そして、自分自身にも、こう伝えたい。
「あの頃のあなたも、ちゃんと生きてたんだよ。
苦しかったけど、立派だったよ」って。
まとめ:不完全なままでも、人は変わっていける
私の生い立ちは、
誰かと比べて特別なものではないかもしれない。
でも、そこで感じた“言葉にできない孤独”は、
今の私の優しさの根っこになっている。
これからも私は、完璧じゃないままで生きていくと思う。
でも、それでいい。
誰かの「助けて」のそばにいられる人でいたい。
この記事が、どこかで“昔の私”のような誰かに届くことを願って。
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